未来を写した子どもたち2008年10月18日 10:37

未来を写した子どもたち
急に時間が空いたので、ご案内いただいていた映画の試写会に出かけました。

タイトルは「未来を写した子どもたち」。インド、カルカッタの売春窟を訪れた女性写真家、ザナ。現地で暮らしながら取材を進める彼女は、子どもたちとなかよくなり、写真の撮り方を教え始める—————

映画には、10〜14歳の男女8人の子どもたちが登場。彼らは生まれ育った環境にとても敏感です。女の子はいずれ「客」を取らされ、男の子は麻薬や酒の密売、女に寄生しながら生きる運命を知っている。しかし、写真を撮ることで外の世界と出会った彼らは、将来への夢を持ち、ザナも悲惨な境遇から救い出そうと奔走します。

そんな環境にもかかわらず、子どもたちの清潔さと透明感、ピュアな印象にまず驚きます。素直に感動し、自己表現する楽しさを知り、未来の希望を語りながら、家族への思いやりを忘れない。目の輝き、無邪気な笑顔を見ていると、人間はやっぱり無垢なまま、生まれてくるんだと信じられるし、幸せを祈りたい気持ちでいっぱいになります。

でも、現実は甘くはありません。ザナの奔走で教育を受けるチャンスを得た子どもたちも、ある子は家庭の事情で、別の子は自らの意思で退学してしまいます。もちろん、才能を見出されて進学のチャンスを得る子もいるのですが・・・・・

最後に子どもたちのその後を伝える映像が流れます。それを見ながら涙があふれてとまりませんでした。人の運命はちょっとしたきっかけや出会い、その時の決断、あるいは偶然の巡り合わせによって、こんなに大きく変わってしまうのかと。

売春窟で生きる選択肢しかなかった時と、外の世界を知った後に戻って行かざるを得ない時。果たしてどちらが不幸なのでしょう。しかし、結果が同じだったとしても、どんな境遇に生まれても、子どもたちには本人の意志と努力で自分の人生を切り開いていける教育を受ける権利があると強く感じました。

単なる施しではなく、自活できるだけの道筋をつけてあげること、しかも少しでも多くの子どもを救える仕組みをつくるのがいかに難しいことか。実際、自分の力でなにができるの?と煩悶しつつ、実行していくザナの姿には感銘を受けました。1人の思いが実を結び、より大きな活動につながっていくドキュメンタリーとしても見ごたえがあると思います。

☆未来を写した子どもたち
http://www.mirai-kodomo.net/
監督/ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
アメリカ/2004年/85分
第77回アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞受賞
文部科学省特別選定作品
2008年11月よりシネスイッチ銀座ほか、全国でロードショー!

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_ 私の研究日記(映画編) - 2009年03月11日 14:41

監督・製作:ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
製作総指揮:ギャラリン・ホワイト・ドレイファス
撮影:ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
音楽:ジョン・マクダウエル
出演:カルカッタの売春窟で暮らす子どもたち
製作:2004年
製作国:アメリカ
時間:1時間25分

 千葉劇場にて観賞(2009年2月16日)。何と場内には、年配の女性客と私の2人だけ。ほぼホームシアター状態だった。

 あらすじ。「インドのカルカッタ。売春窟で生まれた子どもたちの将来は、親の仕事を継ぐ以外になかった。写真家ザナ・ブリスキは売春窟での撮影を続けるうちに、子どもたちにカメラを与えて写真教室を開く。初めて自分たちの可能性を知った子どもたちは、写真を通して将来に夢と希望を抱くようになる。ザナは子どもたちの将来を案じ、その環境から救い出したいと努力するが、それは苦難に満ちた道のりだった」(『映画生活』からの引用)。





【ネタばれ注意!】

 あらすじにも触れられているが、この映画の主人公はカルカッタの売春窟で生まれた、10歳から14歳の8人の子どもたち。彼らは写真家のザナからカメラ撮影を教わっている。皆茶目っ気があり、純な笑顔が可愛らしい。私は塾でちょうど同じ年頃の子どもたちに勉強を教えているが、日本の同年代の子供より子供らしく見えた。

 一方、日本の子どもと同じだな〜と思ったのは、夢を持つということ。売春窟の子どもたちにも学校の先生になりたいとか、医者になりたいといった夢がある。日本の子どもと何ら違いはない。だが、貧困と差別とによって、彼らは学校にすら通わせてもらえない。夢を描くことはできてもそれを実現する術を持っていないというのが、日本の子どもたちと大きく異なっている点だといえるだろう。結局、売春窟において「女の子は売春婦に、男の子は女たちの世話をするよう運命付けられている」のだ(女の子たちの親の中には、自分の娘を売春婦にするのは当たり前という考えがあるようだった)。子どもたちの前途に明るい未来が待っているとは、決していえない。そう思うと、その無邪気な笑顔にほだされる一方で、悲しい気持ちにもなってくる。複雑な心境だ。

 驚いたのは、子どもたちがそうした運命を多少なりとも自覚し受け入れているということ。それでいて、普通の子どもと同じように明るく過ごしているのだ。子どもたちの無邪気な