突然ですが、卒業論文のテーマは安部公房でした。何年も前のことですから普段は自分でもすっかり忘れているのですが、「未発表作発見」というニュースが飛び込んで来ると、やはり血がさわぎます。ひさびさに
文芸誌の「新潮」を発売直後に購入しました。
でも、今どき公房の作品に注目している人なんて、どのくらいいるんだろーと思っていたら、なんと
品切れで異例の増刷なのですね! ビックリすると同時に彼の作品を愛する人が大勢いらっしゃることがわかり、とても嬉しくなりました。
毎年ノーベル賞の時期になると、安部公房がもう少し長く生きていたら…と思わずにはいられません。日本人作家として村上春樹にはぜひ受賞してほしいと思いますが、世界的な評価や活動の幅広さ(戯曲も多く自身で演劇スタジオを持っていました)という面では、公房のほうが遥かに上だったと少し冷めた気持ちで見てしまいます。
未発表作「天使」は、満州からの引き揚げ船の中で書かれた作品ですが、そんな過酷な状況の中でも、私小説を決して書こうとしなかった彼らしさに満ちあふれています。初期には詩をたくさん書いていて、リリカルな作品も少なくありません。イメージが明確で湿っぽさがない点は後の作品と共通しています。たとえば、自費出版で少部数刊行された「無名詩集」にはこんな作品が収録されています。すっきりと爽やかで今も好きな詩です。
祈 り
神よ
せめて一本の 木の様であつて下さい
夕ともなれば
拡つて行く影と共に
宇宙の影に融けて行く
果樹園の実りの様であつて下さい
或ひは熱にうなされた額の上で
跡もなく消えて行く一ひらの
雪の様であつて下さい
僕達はあなたのまはりで
出来得れば
日々に耐え 影の動きに
移ろつて行く時の様でありませう
せめて限られた樹液の中で
音もなくいとなむ流れでありませう
卒論を書いている時に大学で講演があり、ワクワクしながら著書にサインをもらったことを思い出します。「先生の作品で卒論を書いています」「そうなの? いやあ、それはどうも」(若気の至りとはいえ、もうちょっとマシなことが言えなかったものか…苦笑)。でも、しっかりと握手してくださいましたよ。今もその手の感触を覚えています。理論的(東大医学部出身です)でシニカルなアヴァンギャルド作家、というイメージをくつがえす温かく大きな手。人間としての厚みとスケール感をが伝わってくる手でした。
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