ブロウアップヒデキ2018年07月22日 12:45


zeppモニタ

西城秀樹の1975年全国縦断ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画「ブロウアップヒデキ」のライブハウス上映に行ってきました。この歳でZeppデビューするとは…。リセールの一般自由席で入場順も遅かったけれど、幸運にも2階の最前列に座れました。最初にソニーミュージックの方による挨拶とコール&レスポンスの練習があり、「君が望むなら〜♪ ヒデキ!」と叫びながらライブ感覚で楽しめました(予告編はコチラ)。

ブロウアップヒデキ開演前
※陽射しを避けながら整理番号順に入場。

曲に合わせて振られるペンライトが幻想的に美しく、タンバリンの音が彩りを添えて、会場全体がノリノリに。女性が99%でしたが、夫婦や親子でいらしている方、男性ファンもチラホラ。並んでいる時、「昔はペンライトがよく切れ、数本用意していた」「白いライトにセロファンを貼ってカラフルにした」etc.の思い出話に耳をダンボにしつつ、背中にスパンコールで「HIDEKI45」と書いてあるTシャツをお召しの方を見つけたりして、古参ファンの気合いに圧倒されました。

ブロウアップヒデキ入場
※長い間のファンと思われるお姉様方はおしゃれな方が多かったですね。

結果的に追悼上映になってしまったけれど、上映自体は生前から決まっていたそうで、もしかしたら舞台挨拶やビデオメッセージがあったかもしれない…と思うと胸が痛くなりました。

火の鳥のコスチュームで登場する二十歳のヒデキは初々しく、クレーンで宙づりになったゴンドラで歌う姿、ヘリコプターで去っていく光景etc.、すべてがカッコよかった。大画面のモニタもコードレスのマイクもない時代、あの若さでスケールの大きいコンサートをやってたんですね。この日zeppに集った何十倍もの観客の前で、たった1人で。

子どもの頃は毎日のように歌番組があり、ポップスから演歌、ニューミュージックまで百花繚乱の時代。その中で、西城秀樹はハンサムで背が高くて足が長くて、運動神経抜群のカッコイイお兄さんでした。好きだった歌もたくさんあったけど、だんだん洋楽にシフトし、日本語の歌謡曲はダサイと思うようになったのは何故だったんでしょう。

あらためて歌を聴き、しっかりしたテクニックで、メロディと歌詞の世界を表現できる素晴らしい歌手だったと認識できたのは訃報後でした…。音域が広くて、絶叫してもささやいても、言葉がはっきり聞こえて、激しく動いているのに音程にブレがない。派手なアクション(優れたリズム感で振りが鮮やかに決まる)や衣裳(ワイルド系、王子さま系から正統なタキシードまで似合う)すべてが歌の表現につながっていたのだとようやく気づきました。子どもだったわー、私ってバカ。

ブロウアップヒデキポスター
※タオルやTシャツetc.のグッズはあっという間に売り切れていました。

それに、心のどこかにあんなにエネルギッシュで輝いていた人が病に倒れ、療養していることを認めたくない気持ちがあったのかもしれません。亡くなった後の喪失感に自分自身で驚きました。動画や追悼スレッドを毎日のように見まくり、その素晴らしさに圧倒されています。新御三家の野口五郎や郷ひろみ、上の世代の沢田研二や布施明が活躍していることを思うと、まだまだ元気でいてほしかった。本人も無念だったでしょう。

自作うちわ&ありのままに
※高校生かっ!というノリの自作うちわを持参(笑)。裏は「傷だらけのローラ」。

今更のように著書を読み、新文芸坐の追悼上映に続き、今回の「ブロウアップキヒデキ」を見て、駆け足ではあったけれど、若い頃から生命の輝きを放って、自分の音楽世界を構築して全力疾走していった人だったんだと思えます。上映の最後に「ヒデキ、ありがとう!」という声があちこちから聞こえました。思い切って行ってよかった。暑い日だったけど、お台場では海風が気持ちよく、さわやかな青空が広がっていました。ライブにはもう行けないけれど、フィルムコンサートがあったらゼヒ出かけたいです。

ブロウアップヒデキ青空
※当日のお台場はまさにブルースカイブルー。